樹影の下で 第四章 サンタクルス・デ・ラ・シエーラ 1973年8月 ⅩⅧ
アンドレアを見送ったトロンピーリョ空港で、今度はアレハンドロとマルセーロを見送った。彼らはドミニコ会の濃茶の僧侶服を着て変装していたが、意外にもそれが似合っていた。
数日間も髭を剃っていなかったアレハンドロは、ドン・セーサルから餞別でもらったという葉巻を咥えて「よう、コンパニェロ」と唇の片側でニヤッと笑った。その姿は僧侶でも救世主イエスでもなく、チェ・ゲバラであった。
「プラド大佐が今のあなたの姿を見たら気が変わったでしょうね」
「おいおい、それが別れの挨拶かい」
「その顔と葉巻でボリビアから逃げ出せると思いますか。もう一度銃殺されますよ」
「この僧侶服はそういう野蛮な殺生を許さない。アレハンドロにはそのまま僧侶になってチェを弔ってもらいたいものだ。初めましてシラー神父です」小柄な太った神父が小さな旅行カバンを持って現れ、そう挨拶して握手を求めた。
サンティアゴ行きのフライト案内が告げられると、アレハンドロは僧衣のフードで顔を隠した。そして「心配するな」というふうに頷くと、額に二本の指を当てて、それから、その指をわたしに向けた。それは敬礼のようにも、別れの挨拶のようにもとれた。わたしは後から行く選択をしたことを後悔した。
「アレハンドロ、マルセーロ。本当に待っていて下さい」
アレハンドロはニヤッと笑っただけだったが、マルセーロは道化るように「あたり前だ。おまえは否定したが、たぶん俺のクンニャードでもあるとみている。待っているぜ」といった。お道化た会話を交わして別れを告げたが、滑走路に向かって歩いて行く二人は、その姿のせいか十字架に向かう殉教者に似ていた。
それから四日後に二人の後を追ってサンチャゴに発つまで、私はプラド大尉の自宅に匿われていた。大尉は、私に出発までの間外出を禁じ、そのかわりに職務が終って帰宅すると、ジャカランダの花が咲いている庭に椅子を出し、ビールを飲みながら六七年のバリェ・グランデで何が起こったのか、エルネスト・チェ・ゲバラを思い出しながら話をしてくれた。
ガリー・プラド大佐の物語 ラ・イゲーラ、1963年10月
あの日もジャカランダ―の花が咲いていた。第八師団、つまりオクターバ・ディビションの門をジープの助手席に乗って走り出て、チャルカス街に砂ほこりを巻き上げながらセメンテリオ公園の前を通ったときにあの花が目に留まった。これからゲリラを討伐に、つまりは人殺しに行くんだという殺伐とした高揚感をムラサキの花に冷笑された気がして後ろを振り返ると、土埃の中に兵士たちを満載したカーキー色の軍用トラックがついて来るのが見えた。
「カピタン。プラド大尉。ラ・イゲーラ村まで行きますか。それとも今日はバリェ・グランデまでですか」
「できるだけ早急に現場に到着するようとの指令だ。イゲーラに向かえ」紫色の亡霊から我に返って答えた。
サンタクルス市を西に向かい、アンゴストゥーラの渓谷に入っても私の高揚感は消えなかった。いや、私だけでなく兵士たちも意気盛んだった。誰一人ゲバラにもゲリラたちにも憎しみを抱いていなかったにもかかわらずだ。あの高揚感は憎しみから生まれたものではなく、兵士としての技量を試すという幼稚な嬉しさだった。
戦に行く兵士としては、それはベストな環境だっただろう。何しろ、数年間CIAの軍事教官から学んだ技術をとうとう試すことができる。十数名のゲリラに第十二歩兵連隊、第二突撃大隊(バタリョン・デ・アサルド)で編成された250名余という圧倒的な兵力、そしてアメリカからの支援兵器。勝利以外の結果はなく、危険は何もなかった。ゲリラという悪漢たちを我々の部隊が持つ優れた技術で退治して、国に正義を示すことができるという恰好の目的もあった。
ラ・イゲーラに到着したのは翌早朝だった。先に来ていたカルロス・ペレス少尉とエドゥワルド・ウェルタ少尉に頼んで、キロガ村長を呼んで話を聞いた。そのときだよ、妙な情報を聞いたのは。
キロガという小太りの男は農民にありがちな目線を伏せていながら、ときどき盗み見するように細めた目で下からチラチラと様子をうかがうような男だった。その男が、ゲリラたちがケブラーダ・デ・チューロにいると情報を提供した後で、なかなか立ち去ろうとしない。
「まだ他に提供できる情報があるのかね」と、聞くと。
「いや別に、ただその・・」
「何だね、はっきり言いたまえ」
「ですから、その、確か賞金があって、それで、わたしも色々と情報提供者に金を使ったものですから・・・」
わたしは不愉快になって「その賞金の件は、情報が正しければ政府が支払うはずだ」
というと「それで、いつ頃になりますか。なに、そのわたしではなくて、提供者の村人がせかすものですから」そして、キロガ村長はまた細めた目で下から様子をうかがった。
「知らんな。チェが捕まらん限り終わりはないのだ。貴様は村長だろうが、村人の説得はお前の役目で、あまりしつこくするなら上層部に情報提供者としてお前の名を報告せんぞ」吐き捨てるように云うと、キロガは怯えたように目を伏せておかしなことを言い出した。
「実はもうひとつお伝えしたいのですが、わたしからの情報だと上の方に確実にお伝え頂けませんか」
「なんだね」
「それは、ゲリラの居場所とは別で、つまり、なんですか、えー、賞金なども別になるのかどうか教えて頂けたらうれしいのですが・・」
「 言っとくが、今しゃべらなかったら、軍事法廷(軍法裁判)にかけて、貴様を国家反逆罪で何十年かくさい飯を食わせてやる」
キロガは目を伏せただけでなく、背まで丸めて「そんなつもりではありません。けしてそんなつもりではありません。カピタンのためになれば、それだけで結構です」と言うと、早口で「実は、チェが二人いるというのです。ラ・プカーラ村の近くに住む老女が見たと言うのです」
「それは確かかね。でたらめなら、どうなるか分かっているだろうな」そう脅すと、キロガは話したことを後悔したように、慌てて「ですから、わたしではなくてプカーラの老女の話です」と責任から逃れるように付け加えた。
わたしはこの情報を二人の少尉とともに検討したが、キロガ村長の情報は賞金の金額を吊り上げるためのガセネタと判断した。しかし、念のため上層部には報告するよう指示した。
プラド大佐は言葉を切り、それから訊いた。
「ところで君はドクトル・モイセスに二人のゲバラの話をしたそうだな。我々は二人のチェの件は、村長の金欲しさのガセネタだろうと判断したのだが、あの夜、結婚式のフィエスタでアレハンドロを見るまではだが・・・で、トーマ、どっちなんだ、生き残ったのは。アレハンドロに会ったとき、俺はチェの記憶が重なって判別できなかった。あの時、俺には訊く権利と義務があるような気がした。しかし、それは同時にチェの死に加担したことを認めることでもあったから、だから・・言葉が出てこなかった」プラド大佐は視線を強めて訊いた。
「ぼくもどちらが生き残ったのか分かりません。ボリビアに来るまで、そればかりを考えていました。エルネストか、アレハンドロか。ブエノス・アイレスで初めてあった時から、いや、クリチーバで写真を見た時から、いや六七年の十月からです」
「・・・・・」
「彼が誰であるのか、そして誰であるのかを明かさない理由は何だろうか。ぼくはそればかりを考えていました。しかし、生き残った者がどちらであっても、死んだ者の記憶を負って生きるのですから、生き残った者がどちらであれ、同じことかもしれないという結論に辿りつき、詮索することをやめることにしました。生き続ける者を、死んだ者と比較する必要がなければ、誰であるかを知る必要もなくなります」
プラド大尉は、温くなったビールを一気に飲んで、視線を庭に向けた。太陽の光が衰えて、夕暮れの庭は静けさに支配されていた。ジャカランダの花の色も濃くなり、わずかに風があるのか、静かに揺れて紫の雨を地表に降らせていた。
「そうだな、そうかもしれない」ぽつりとそう言って、記憶の底を探るようにまた話し出した。
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