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第五章、サンティアゴ・デ・チーレ 1973年9月 Ⅵ

ピノチェット将軍の中で、二頭の獣が苦悩しながら争っていた。将軍の呼吸は乱れていた。 「将軍はその後、つまりバルパライソの後、そしてサルバドル・アジェンデが大統領になるまで、彼と会うことはなかったのですか」そう訊くと、ピノチェット将軍は息を整えて「どうして、そんなことを・・」と、訊き返した。 「そんなにも長く愛憎を抱き続けることができるのですか」 私の問いにピノチェット将軍は、微笑を浮かべた。 「いい感をしているなお前。確かにそれ以前にも会ったことがある。イキケで刑務所長を務めていた頃だ。わしはそこで更生する見込みのない虫けらのような囚人たちを相手に無為な毎日を過ごしていた。アジェンデはその頃上院議員になっていた。相変わらず理想を訴えているのを時々ラジオで聞いていた。それはもう、わしには関係のない遠い出来事で、昔の知人の消息を聞く程度の関心だった」 「・・・・」 「しかし、アジェンデが『チリの刑務所では人権が守られていない』と言い出したのには驚いた。遠い出来事が一気に現実になり、そして『イキケ刑務所を視察する』と言い出したときには因縁さえ覚えた。冗談だろうと思ったが、机の上の電話が鳴った時、それが冗談ではないことが分かった」 「・・・・・・」 「あの日の朝も、海からの霧がアタカマ砂漠の砂の上で蒸発して、いつものように熱い一日が始まった。わしは刑務所の塀の外でアジェンデ上議員を含んだ視察団を丁重に迎えた。そして、人間の皮を被った虫けらたちをどうにか整列させ視察団に面会させた。囚人たちは人権という都合いい言葉で議員たちに訴える機会を窺っていたが、そういうことをすれば翌日砂漠ではく製にされることを知らせてあった。彼らは欲と恐れを天秤にかけたような顔をして並んでいた。このまま無事に終わるかと思ったが、囚人の中の一人が『議員殿、申し上げます』と言った時には嬉しくなった」 「・・・・・」 「彼は模範的な囚人だった。入所した時、わしに自分は冤罪だと訴えたが『それは残念だな、時すでに遅しだ。裁判所でそう言うべきだったな』と助言した。彼が言葉を続ける前にわしは準備してあった余興を始めるように合図した。看守がピーっと笛を吹くと、別の看守二人がアザラシの干物を運んできて議員団と囚人たちの間に置いた。赤黒い肉は乾燥していたが、それでも