樹影の下で 第四章 サンタクルス・デ・ラ・シエーラ 1973年8月 ⅩⅨ
ガリー・プラド大佐の物語
ラ・イゲーラ、1963年10月
そして、我々は翌日、つまり十月八日の早朝、チューロ、トゥスカ、ハグエイの三つの谷の合流地点が眼下に見渡せる尾根に迫撃砲と機関銃を設置した。ペレス大尉が渓谷からゲリラたちを追い出して、それを挟み撃ちにする作戦だった。辺りは所どころトウモロコシ畑があるだけで、谷は灌木が茂っているだけ人家もなく、ケブラーダ・デ・チューロは小川程度の水が流れているだけだった。そして、都合が良いことに全てが見渡せた。
その変哲もない、サンタクルスの山岳地帯を望んでいると、バリエントス大統領が言ったという『マラビリャ』というセリフを思い出したよ。
実はあの時、ゲリラ掃討に必死になっていたのはキューバに神経質になっていたアメリカだけで、バリエントス大統領は、そうたいして深刻ではなかった。それはそうだろう。我々にもチェのサンタクルスでの決起は理解できないものだった。チェがオルロやポトシーの鉱山労働者たちを扇動したら、政府は危機感を抱いただろうが、サンタクルスの誰もいない山中のニャンカワスーだ。そこは住民はごくわずかで、政治的関心もなく、飢えている者もない。また、政府にとって当時も今もサンタクルスは政治的にも軍事的にも重要な地域ではなく、肉やトウモロコシを供給してくれれば良いだけの農牧地帯でしかない。政治的には何ら重要性がなく、共に戦う者もない所をゲバラはなぜあえて決起場所として選択したのだろか。バリエントスは、ゲリラたちがサンタクルス山中で蜂起したと聞いて『マラビリャ(素晴らしい)』と叫んだそうだよ。
トーマは、その理由をチェの郷愁ではないかとドクトル・モイセスに話したそうだが、そういう発想は軍人の我々にはないものだ。地理的なことを考慮すれば確かに南下してそのままアルヘンティーナに到達する。チェが軍事より、心情を優先させたのなら、その時点ですでに彼の敗北は決まっていた。
そのとき、私の脳裏に閃いたのは「チェは敗北を目的にしていなかっただろうか。それならなぜ・・」答えはなかったが、フィデルの手紙にあった「完全な終局は死しかない」という言葉を思いだした。
午前十一時半が過ぎた頃。谷間に銃声が響いた。方角はチューロ谷の北側だった。私はトゥスカ谷を下っていた部下のワンカ大尉に、すぐにチューロ谷に降るよう無線で指示した。そして、トゥスカからチューロに曲がろうとする我々の眼下でワンカ大尉の小隊とゲリラたちが遭遇して銃撃戦になり、なんとゲリラたちが我々の部隊のいる尾根に登ってくるのが見えた。わたしは機関兵に援護射撃を命じ、部下たちに前進しゲリラたちを待伏せるよう指示した。
あっけないほど我々の筋書き通り展開した。前進した部下のバルボア伍長たちがなんとゲバラを捕虜にしたのだ。あまりにも安易に運んだので、これはチェの陽動作戦で、捕虜は囮にちがいない、チェは別方面に逃げていると考えたほどだ。そしてキロガ村長の言葉を思い出した。連行されてきた男は足を負傷し引きずっていた。もう一人のゲリラの肩に支えられてやっと立てる状態だったが、落ち着いた声で「君たちが探しているエルネスト・ゲバラだよ」と名乗った。手元にあった手配書で確認すると、似てはいたが汚れきった男がゲバラ本人であるかどうか判断はできなかった。時計を見ると午後二時過ぎだった。たった二時間余の戦闘でゲバラを捕虜にしたのだ。信じられない幸運だと神に感謝した。
私は、男がゲバラであるかどうか確認がなかった。しかし、もし彼がゲバラなら、仲間が取り返しにくるまえに身柄を後方に送って確保するのが先決だと判断し、イゲラ村に引き上げるよう部隊に命令した。尾根を越えて道路に出るとセリッチ中佐が現れた。そして、セリッチ中佐は上機嫌で、まるで彼がゲバラを捕えたかのように振舞い、イゲラ村に着くと、捕虜たちを村の小さな小学校の教室に閉じ込め、没収したゲバラの荷物を調べ始めた。そして「間違いな。この男はエルネスト・ゲバラだ」といって、一冊のノートを示した。それがかの有名なゲバラ日記だよ。それからセリッチは校舎に戻ってゲバラを尋問したがゲバラは薄ら笑いを浮かべて何も答えなかった。セリッチは愚弄されたように激怒してゲバラを何度も殴ったが、殴られた方にゆとりがあって、殴っているセリッチの方は我を見失っていた。
その夜、私は眠れなくて、深夜、ベッドから起きて煙草を吸いに外に出た。村には電気もなく暗かったが月明りで、ゲバラたちを閉じ込めた小学校の校舎の前に数人の歩哨兵が銃を手にして立っているのが見えた。アドベ煉瓦でできた校舎に近寄ってみると、私に気付いた見張りの兵卒が驚いて、どこで手に入れたのかアルコールらしき小瓶を隠した。
「俺は構わんが、セリッチ中佐に見つかるなよ」というと「ありがとうございます大尉」といってコカの葉で緑色に染まった歯を見せて笑った。
「ゲバラはどうしている」と訊くと、肩をすくめて「奴は傷が痛むようで、ときどき唸っています」
「そうか、少し話してみたい。開けてくれんか」というと、扉には鍵もないようでトントンと叩いて中の兵隊に合図した。
中に入るとケロシン・ランプの焔で粗末な椅子に縛られた男の影が見えたが、私が近寄っても反応しなかった。男からは異様な臭いがした。私が顔をしかめると男はくすっと笑って顔を上げた。
男の前に屈むと、服が破れ、汚れた顔と髭の中に妙に澄んだ瞳があった。彼は何も言わなかった。私も何を話していいのかわからず互いに目を覗きこむようにして黙っていた。
先に話したのはゲバラの方だった。
「で、どうする?」
「・・・なんだね、なにをどうするんだ」
「いや、やけに長い人生だった気がしただけだ。早く終わりにしよう」と言って煙草はないかと訊いた。手が縛られていたので、私は煙草を彼の口に咥えさせ火をつけてやった。
「ありがとう。君は何も訊く気はないようだね」
「ああ、私の任務は君を捕えることで、動機を知ることではない」
「そうか、私はひねくれ者で訊かれると答えたくないが、君のように知りたくない者には話したいという衝動にかられるよ」
「・・・・」
「何人逃げのびることができたか教えてはくれないかね」
「多分、5~6人だろう。しかし、明日の捜索で何人逃げのびることができるか、多分2~3人だろう」
「君は正直だね。わたしに共鳴してくれているわけでもなさそうだが」
「あんたは、ここに捕らわれている。教えても問題ないだろうと思っただけだ」
「そうか、そうだな」と言って、目を閉じた。吸っている煙草はすでにもうフィルターの近くまで短くなっていた。
「もう一本いるかね」
「・・・・・そうだな。吸ってもしかたのないことだが、こんなときでも吸うと美味さを感じる。不思議なものだ」私は煙草を咥え、火をつけてからゲバラの唇の煙草とかえてやった。
「それで、君は目的を達したかね」
「目的・・・か。私の目的は君たち軍人のようにそう明確ではない。評価は後世にゆだねるしかないだろう」
私はもう一度キロガ村長の話を思い出しながら訊いた。
「ひとつだけ訊きたい。なぜ、ボリビアなんだね」
「・・・・・」
「君はアルヘンティーノだし、どうして故郷での革命を目指さなかったのか不思議でならない」
「そうだな。次はそうするよ」と、チェは冗談っぽく答え「いまは疲れている。次だ、次にしよう」と言った。
私は、次が革命のことを指しているのか尋問のことを言っているのか分からなかったが、そろそろ引き上げるべきだろうと思い、立ち上がって「煙草を置いていこうか」と訊いた。
「すまん。プラド大尉、君にはもう一度会える日があるよう気がする。もし、いつかアレハンドロという男に会ったら、気にするなと伝えてくれないか」
「どこで会えるのかね、その男に」
「さあ、君はいつかきっと彼に会えるよ」
「その男は君に似ているのかね」と、問うと、チェは答える代りに素晴らしい笑顔で別れを告げたよ。
外に出て「縄を解いてやれ」と言うと、「・・・・」兵卒は何か言いたげだったが、頷いてくれた。イゲラ村はまだ深い闇の中に沈んでいたが、十月の夜空は東の方から明るくなりかけていた。
夜が明けると、私の部隊はセリッチ中佐に急き立てられるようにイゲラ村を出発した。セリチェ中佐は直接の上官ではなかったので、私は彼の命令口調に腹立てていたし、兵隊たちは昨日の疲れか、あるいはゲバラを捕えたという達成感が目的を失わせていた。彼らは隊列を組むことなくもなくだらだらとおっくうそうに行進していた。
出動の成果はその時のだらけた行進の時から分かり切っていた。昨日の疲れに今日の疲れを重ねただけでイゲラ村に戻ると、兵隊たちは無駄な労働にうんざりしたように道端にへたって座わり込んだ。
私は急いで小学校の校舎に向かった。しかし、入口には見張りの兵隊の姿がないことに気付き胸騒ぎがした。薄暗い中に入ると捕らわれのゲバラの姿もなかった。瞬間、私はイゲラ村からプラカ村に向かう本道から渓谷に下りていく途中で聞いたヘリの音を思い出し、悪い予感を覚えた。
そして、入口を遮った影がコリャ族の訛りで「大尉、ゲバラは今朝処刑されてヘリでバリェ・グランデに運ばれました」と教えてくれた。
「処刑、ラパスから指示があったのかね。で、誰が処刑した」
「そう聞いています。マリオ・テラン軍曹が銃殺しました」
誰もいない教室にはゲバラが腰かけていた小さな椅子が横倒しになっていた。そして土間には血が沁みた跡が黒ずみ、何本かの煙草の吸殻が周りに落ちていた。
〈こんな時でも煙草が美味いとは不思議なものだ・・〉ゲバラの声を聞いたような気がした。
「プラド大尉、セリッチ中佐がお呼びです」
「うるさい!」
わたしは、怒鳴って入り口を塞いでいた兵隊を突き飛ばした。ころがった男はわたしの剣幕に驚いたようだった。教室を出たが、わたしは自分の心の動きが理解できなかった。ただ無性に腹が立っていた。
無性に腹が立つといえば、その後のことは全て腹立たしかった。処刑されたゲバラは、当初銃撃戦の最中に死んだと政府は発表した。しかし、レヒナルド・アルセというコチャバンバから来た医者くずれの記者が死体は至近距離からの撃たれたものだと指摘すると、マルタ病院のモイセス医師もそれに同意した。その時のモイセス医師のホッとした表情で、政府によってねつ造されていたと世界の人々が真実を知ることができただろう。上がねつ造するのは勝手だが、薄汚い不正な処刑の実行犯にされたわれわれはどうなる。「俺は、ゲバラが処刑された現場にいませんでした」と言っても言い訳にしかなるまい。俺は、ゲバラを捕えた男、そしてイコール処刑人にされてしまった。そして不正をさらに隠ぺいするためかゲバラの死体はバリェ・グランデから消えた。
プラド大尉は、物語を終えると空になったビールのコップをテーブルに置き、しばらく庭のジャカランダの花を眺めていた。
「俺は軍人流の考え方しかできない。俺がどう思うかなんて肝心なことではなかった。チェが生存していたら、祖国は我々にどのような指令をだすのだろうか、もし彼が蘇ったら、六七年のゲリラ掃討作戦と同じような軍事行動を繰り返すのか。彼の生存を知ったリチャード・ニクソンは、今度はどんな圧力をボリビアにかけてくるのだろうか。現政権のバンセル大統領は、あの時のバリエントス大統領やオバンド司令官と同じようにチェを殺せと指令を出すのだろうか」
「・・・・・」
プラド大尉は、全てを語り終えたというふうに椅子の背にもたれかかり、目を閉じた。
「大尉は、先日『死んだよ』と言いました、すると実際には彼の死体は見ていないのですか?」
「ああ、見ていない。俺は二回目の掃討作戦の指揮を執っていた。しかし、イゲラ村の男がゲバラなら、多くの者たちが死んだことを確認している」
私は、それ以上ゲバラの死について訊けなかった。それでも、もうひとつだけ訊かなければならなかった。
「大尉は、ゲリたちの死体が何処に隠されたかご存知ですか」
大尉は椅子から身を起こし。
「いや、チェを捕えたのは私だが、その後は蚊帳の外に置かれた。しゃしゃり出てきたのはアンドレス・セリッチ中佐で、わたしは翌日、残党掃討作戦という任務を与えられて体よくラ・イゲーラから放り出された。そしてチェが殺されたと聞いて、セリッチの胸糞悪い笑い声を聞くのも嫌で、イゲラ村にいなかったことを幸いに思ったよ。あの男、セリッチ中佐はナチスのような男だった」
「・・・・・」
「死体がどうなったか。詳しくは知らない。だが、間違いなくバリェ・グランデのどこかに埋められたはずだ」
また一陣の風が吹いてジャカランダの花を散らした。樹木の下には降りそそいだジャカランダの紫の雨が絨毯を敷いたように花影になっていた。
「こんな話をしていると、あの美しい花の色まで不吉に感じてくる」
全てを話し終えると、プラド大尉は疲れたように目を閉じてしまった。
私はプラド大尉の物語を聞き終えた翌朝、大尉に別れを告げた。彼は「気を付けて行け。悪いが俺は目立つから見送ってやれない」と言った。私は暫らく歩いてからタクシーを拾ってトロンピーリョ空港に向かった。
いつの間にか八月は終っていた。
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