樹影の下で第四章 サンタクルス・デ・ラ・シエーラ 1973年8月 ⅩⅣ



ふたりにはアレハンドロとマルセロを待つ以外、何もすることがなかった。それは幸いなことだった。ふたりは一生を凝縮するかのように一瞬たりとも離れずに過ごした。サマイパータ村からいくつかの山を隔てた山頂にプレ・インカの遺跡があると宿の主人に勧められてジープを走らせた。その山道はけもの道のようで、車で通るには狭すぎる危険な道であったが、用心しながら遺跡があるという山の麓までたどり着いた。だが、そこで道は川に遮られていた。躊躇したが、そこに車を置いて。リュックを担ぐと徒歩で山を登った。アンドレアは息が切れ、何度も「待って」と言ったがやめるとは言わなかった。山頂に近づくと山肌は岩に変わり、その岩壁にいくつものランの花が美しく咲いていた。
山頂にたどり着くと楕円形の異様な巨大石が横たわっていた。その巨石には窓のような溝が掘られ、また入り口のような大きさの四角い窪みが並んでいた。それは明らかに人工的な造形であったが、この山の頂には人間の気配は微塵も感じられず、この造形が造られてから数千数百の時がこの山頂を過ぎたことがあきらかだった。
ふたりは巨石遺跡の向こうに果てしなく遠くまで脈々と広がる緑の世界を眺めて時間を失っていくのを感じながら肩を抱きあって座っていた。山頂から眺める地球の広さは、ふたりが小さな二人でしかないことを意識させ、互いの心を寄り添わせた。

宿に戻る頃には日が暮れていた。部屋は冷え切っていたが、宿の主人から分けもらった薪を部屋の暖炉にくべると部屋には穏やかな暖かさに満ちた。ふたりは暖炉の前の床に毛布を広げ、その上に座った。そして燃え上がる炎の虜になったように言葉もなく見つめ続けた。
こうして二日間を過ごしてもアレハンドロとマルセーロは現れなかった。ふたりは互いに言葉を交わす必要もなく、サンタクルスに戻る支度をした。
アンドレアは運転席側に乗ると「あたし、サンタクルスで彼らを待たない。トーマとの想い出が消えない前に出発するわ」と言って、決意を宣言するようにアクセルを踏み込んだ。

サンタクルス・デ・ラ・シエーラは冬が遠のいたように涼しげな青い空が高く広がり、スール風も憎しみを忘れたかのように穏やかで爽やかだった。
トロンピーリョは二階建ての小さな空港で、搭乗待合室もなく一階の待合ロビーからガラス戸を隔てたすぐ向こうが滑走路だった。
僕はアレハンドロから預かっていた金でブエノス行の航空券を買った。そして、残った金もそのチケットと一緒にアンドレアに渡すと「こんなにたくさん?トーマはどうやって旅を続けるの?」と、心配そうに訊いた。
「僕は最初から金なんて持っていなかった。僕の旅にはお金なんて必要なかった」
「・・・・・・」
「僕はアントニーナからサンタクルスまで不思議な旅をした。まるでチェやターニアに導かれるかのように、あるいは過去というものはその人に憑りついて離れないものかもしれない。大河が流れるように旅そのものが運命の流れとして僕をここまで運んできた。それが僕に定められた旅であれば、僕の望みどおりにはならないだろうけど、望みは叶えるものではなく、僕の前にあるものを望みとする術を僕は知っている」
「・・・・・・」アンドレアは静かに私を見つめるだけで何も答えなかった。
「アテンシォン・セニョーレス」と、別れの時を告げるアナウンスが流れた。アンドレアはゆっくりとわたしを抱擁し、別れのキスをくれた。そして微笑みを浮かべて耳元で囁いた。
「愛している。あなたは何度もチャンスを失ったわ、でも、あたしはまだ待っているわ」
そしてアンドレアは振り返ることもせずにトランクを持つと滑走路に続くドアに向かった。
わたしは送迎ベランダのある二階に登った。晴れた空の下にサンタクルスの地平が遠くまで見渡せた。その広大な自然の中で人々は旅立つ人との別れを惜しんでいた。あるものは「アディオス」と声を出し、あるものはベランダの手すりから身を乗り出すようにして手を振っていた。ブエノス・アイレス行きのダグラスDC3に向って歩いていた乗客たちは途中で立ち止まり、手荷物を下に置くと振り返り手を振って別れを告げた。その中にあってアンドレアの紅いレザーはひときわ目だっていたが、しかし、彼女は振り向くこともなくタラップを登ると機内に消えた。間もなくエンジン音が滑走路に響き、風を切り裂くプロペラの音がするとダグラス機はゆっくりと旋回して向きを変えた。わたしは機内のシートに腰かけたアンドレアの瞳を「アディオス・アモール」と呟く彼女の言葉も感じることができた。そして、ダグラス機は私の心に轟音を残して滑走路を離れ、アンドレアは青空の彼方に去ってしまった。

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