樹影の下で 第四章 サンタクルス・デ・ラ・シエーラ 1973年8月Ⅰ




 六年の歳月は、この町に襲いかかることもなく、住む者に気付かれないよう、静かに時を刻んで過ぎたかのようだった。
 それでも、帰ってきた者は隅々にある小さな変化に気付かされた。それは、驚くような変化ではなく、曲がるべき角を間違える程度のものであった。
 サンタクルス・デ・ラ・シエーラ七月は去っていた。ピライー河の畔にある町から夏は幾月も前に過ぎ去り、もうすぐ八月の冷たスール風が吹くだろう。スール風は我々の後を追うように、アンデス山脈の東に広がるアルゼンチンの草原駆けて北上している我々に追いつこうと必死の形相でパラグアイ河に白い波を立てている頃だろう
アレハンドロは町の北の入り口にあるコルテスというホテルに宿を決め、それぞれが別々に宿を取るように注意したが、その用心はなんの役にも立たなかった。アンドレアはいつでも人目を引く女だったし、フロントで始終私に話しかけ、同じようにアレハンドロに愚痴っていた。
私の部屋は二階で、ホテルのパティオに面していた。窓を開けると庭の中央にあるプールの水面に枯葉が数枚浮かんでいた。そして、その傍をアンドレアが歩いている。冬のパティオは憩う場所ではなく、アンドレアの姿も心持ち小さく、そして彼女が歌うタンゴのように哀愁に満ちていた。
傍らのカーテンが揺れたその気配にアンドレアがの部屋の窓を見上げた。驚いたことに彼女の瞳と頬は涙で濡れ光っていた。胸を抱くようにして立ち止まったアンドレアはじっと見上げたままでしばらく視線をそむけようとしなかったが、いきなり怒ったような表情を顔に浮かべ唇を噛むと早足でホテルの中に入ってしまった。

アレハンドロは何度も「用心しろ」と言った。しかし、懐かしさが私を外へと誘い出した。ホテルの左手は下り坂で、坂下にラ・サーリェ校の屋根と学校専用の教会が建っている。校門の前の高いヤシ並木が風に揺れその遥か西の地平には町の名の由来であるシエーラ、つまりアンデスの裾野が蒼く連なってい
ホテルの右手の交差点はロータリーになってい。そして、そのロータリーの中央にはキリスト像が、町を祝福するかのように両手を広げていた。それは、リオ・ジャネイロのコルコバード丘に立つキリスト像と比べればごく小さな像にすぎなかったが、サンタクルスという小さな町に相応で、よく似合った大きさだと思った。
「ねえ、つまらない田舎町ね」振り返るとアンドレアが靴のつま先を見るように俯いて立っていた。
「アンドレア、ほら、あそこにアンデスの山並みが見える」
私は、青空の下にある紺碧の山影を指差してアンドレアの関心をひこうとしたが、彼女は少し視線を上げ、目を細めて遠くを見ただけで、すぐにまた「つまらない」と、呟いて俯いてしまった。
 ブエノス・アイレスを逃げ出すように船に乗った後、アンドレアの同じ呟きを旅の間いく度も聞いた。ブエノス・アイレスが遠ざかれば遠ざかるほど彼女のブエノスへの想いは強くなっていくようだった。それはアレハンドロもマルセーロも知っていたので誰も彼女の呟きを止めようとしなかった。
 アレハンドロといえば、荷物を部屋に放り出すような速さでマルセーロと連れ立ってホテルを出て行った。町の南の郊外にある牧場主がアルヘンティーノで、ペロン到着後のアルゼンチン情報を聞いてくると言って出掛けたが、私に「行こうか」と誘わなかったのは来て欲しくなかったからだろうか。それとも来て欲しくなかったのはアンドレアで私は見張り役だろうか。
「トーマは、考えるのを止めないからつまらない」
「また、つまらないですか?」
「そうよ。こんないい女と歩いて、キリスト像やら山影だと言っている。ほら、あそこに立っている男、わたしを舐めるように見ているわ」
「あなたはいい女ですよ。それに考えているのではなくて、サンタクルスの風景を懐かしんでいるだけです。あなただって、数年もすればブエノスの風景が懐かしくなります」
「違うわ!わたしはポルテーニョよ、あの街でしか生きていたくないわ。懐かしがる前にさっさと帰るわ!」アンドレアは語気を強め、わたしを睨むようにして言った。
私はしまったと思ったが、怒ったときのアンドレアが一番美しいとも思った。
「ごめん、そんなつもりで言ったんじゃない。でもアンドレア、君はどうしてついて来たんだ。マルセーロが心配?それとも怖くなった?それともアレハンドロを愛しているの?」
 アンドレアは睨んだ視線をぶつけたまま「バカ、あんたの質問にはひとり足りないわ」と言って視線を外した。
わたしは足りないひとりを加えることなく歩き出した。立ち止まったままのアンドレア「エステゥピド(バカ)」と小さ呟いた。それも彼女の口癖になっていた。

過ぎ去った日々を確かめるように、私はゆっくりと町を歩いた。モンセニョール・リベロ街から二十四公園に続く通りは、公園と同じ名で通り沿い家々は簡素な造りだが、赤瓦屋根と漆喰の壁が美しかった。その屋根歩道まで伸びて日光を遮ってくれている。また、どの家ドア上下に分けらるようになっていて、上部だけを開ければ窓になる造りだった。そして、軒先の屋根を支えいる固そうな木の柱は根本がそのまま土中に埋められていたが、過去にこの下を通った人々の掌で磨かれたのだろうか、艶々とした光沢を放っていた。 
そして、どのにも緑の三色旗が掲揚されていた。

「あ、そうか。もうすぐ独立記念日だ」

町の中心にある九月二十四日公園まで歩いた旧市街は昔とそっくり同じままで、時はこの場所に何の影響も与えなかったようだ。正面にカテドラルがある。市庁舎も郵便局も、そしてパラセ劇場もあの頃、そのままに公園の周りに並んでいる。パスカーナのカフェテリアの歩道にはテーブルが出され常連のような老人たちがタバコをふかしながら公園を眺めている。
私は十六歳の少年に戻ってしまった。公園に立ち尽くしたまま動けなかった。あの頃、理不尽で不公平な少年時代未来に希望などなく、青春は乞食のように何も持たないものだと焦り、かつての自分が怒りを湛えた目をしてここ立っていた。日々が蘇えり、消えた。あの狂気のような怒りが消え、いまは帰らざる過ぎ去った日々を、色あせたセピア色の写真を手に取るように懐かしく想うだけだった。
思い出に胸が詰まり公園の木製のベンチに座わると、カテドラルの鐘楼が鳴った。この町に住んだ日々があったはずなのに、私はカテドラルの名前さえ知らないことに気付いた「どうしてだろうか」と、思ったが、そう云えばこの町の人々は聖堂を意味するカテドラルとしか呼んでいなかった
夕暮れのプラサは家族連れの人々で賑わっている。しばらく腰かけているとブエノス・アイレスの五月広場と同じようカフェ売りが近づいて来た。「カフェ」と注文すると、ウエイターのように白いシャツを着た若い男は少々塗装が剥げかかった金属性のカップにコーヒー注いで差し出した。受け取って金を払うと、私はカップを掌で包んでベンチに腰掛けたまま空を見上げた。八月の夕空は雲もなく高、光る砂を撒き散らしたような小さな星が輝いていた。
 私は行くあてを失った浮浪者のように公園に座り続けていた。夕暮れが近づき、通りを隔てたサンタクルス市庁舎の白壁を夕日が紅色に染めている。庁舎の二階のベランダは国旗だけではなく、緑と白のサンタクルス州旗が突き出すように掲げられて風に揺れてい
西側のパラセ劇場の正面玄関入り口には明々と照明が灯されていた。マティネーの上映が終わったのだろうか、眩い逆光の中から吐き出されるように大勢の人々が湧くように出てきた。それを目当てに物売りやタクシーが周辺に集まっている。公園は夕暮れが夜に変わる一瞬の境の中にあった。陽の光が消え、夜が訪れる一瞬の刹那に影のない青い光に包まれる刻。その時、人々の顔が穏やかになり、風も木々枝を揺らすのをやめる。一瞬の青の刻が去ると世界は夜の闇に支配され、暗黒という無表情の獣が闇を徘徊するのを嫌うように公園に街灯が灯った。その光で影が生まれ、木々の長い黒い影は敷石の上に伸び、人々の表情も影で隠された。
公園に来て、人々は時間の存在を忘れるかのように過ごしている。この過ごし方はどうだろうか。何をするでもない。語らっている者たちは別としても、多くの者はベンチに腰掛けて公園の風景に溶け込んでしまっているだけだ。そこにあるものを出来事としてではなく風物として傍観している。ふと、六年前にもある出来事を彼らは傍観していただけであったことを思い出した。
 あの時、エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナは哀しいことに、この国の人々に好奇心すら持たれることなく、この公園に座った人々と同じように無関心にただ傍観されていたのではなかろうか。兵隊を満載した軍用トラックが砂塵を舞い上げて町から飛び出していく様に人々は期待も恐れもなく、わずかな好奇心をその砂塵の先に向けただけだった。ゲルラたちの目的や行動に関心を抱く者なく、皮肉なことにエルネストたちに関心を持ったのは民衆ではなく、権力を手放すことを恐れる者たちだけだったエルネストが必要とした民衆の理解も蜂起もなかった。無関心の中で、そうやってエルネストもターニアも死んでいった。ふたりはボリビア人の心の中に何の痕跡も残さなかった。そのような生き様に、そのような死に方に、何の意義があるのだろうか。
私はホテルにいる男の顔を思い出しながら「彼は誰だろうか」と呟いた。ベンチの上の木の枝が風で騒いだ。夜空は急に雲に覆われ、星が消え、人々が不安そうにベンチから立ち上がり「風がスールに変わった」と呟いた。そして、冷たいスール風が公園の人々を散らすように強く吹き始めた。

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