樹影の下で  プロローグ ①



樹影の下で


プロローグ 1967年 ①

もし、旅というものが、未知なものに対するわくわくするような好奇心と誘惑、そして、自分の人生に定められた未来を打ち砕くための挑戦的な冒険心からであり、逸る心を制御できないまま、こらえきれないように翼を広げて青空に飛び立つようなものであるとしたら、わたしの旅のはじまりは、けっしてそのようなものではなかった。
あの頃のわたしは、人生とはこうあるべきだとか、今の次はこうしようというように、しっかりとした未来への設計図を手にしていたわけではない。そのようなことができるほど成熟などしてはいなかったし、成熟という言葉は青春の喪失という意味として捉えていた。
また、早々と将来を決定して、それを目指すほど我家は裕福ではなかった。父には自分自身の人生を放棄してまで、息子の将来のために特別な教育をと考えるような強い気持ちはなかった。いや、それは言い過ぎかもしれない。父は父で、わたしたちの教育に不安を抱きながらも、日々の糧を追い続けるしか術がなかったのかもしれない。
また、わたしは変わった子だと思われたことはあっても、それ以上の、つまり、父の少ない金銭をわたしの教育に賭けさせるほどの天才でも秀才でもなかった。多少なり、そのような才能の片鱗をみせていれば、父も好きな酒の量を削ることができたはずだ。
もっとも不思議なことに、このようなことをわたし自身がすでに良く知って理解していたことだ。人生には不公平が存在するというよりも、不公平であることがいたって当然であり、不公平は醜さを隠そうともせずに、わたしの町のいたるところで徒党を組んでいつもねり歩いていた。

あの頃、わたしは少年時代を少し越えただけの14才だった。その年齢でしっかりとした将来の設計ができている者がいるとしたら、それはきっと、ありあまる才能を持った鼻持ちにならない嫌な天才か、あるいは、父母の言いなりになっていることに気付かないで、始発から終着駅まで乗りかえなしの一等列車に乗っている恵まれた不幸な奴にちがいないと思っていた。
恵まれた彼らはその不幸なテリトリーの中でしっかりと守られ、世の中の仕組みというものは自分たちのような特権をもった者のためにある程度有利にできていることに薄々気づいて、電車の車窓の外をあからさまでないにしても軽い蔑視と哀れみをもって眺めていた。

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