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第二章 アントニーナ 1973年4月~7月 ⑥

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    三日降り続いた雨が 晴れた。 雨に洗われた澄んだ空気が 窓から 入ってくる。 カーテンを揺らす風には、 潮の匂いが かすかに含まれている 。その匂いに誘われて手すりに 寄りかかり外を眺め た 。 雨が降っている間は 海の 遠くあった島影 が、今朝は 近くまで引き寄せら れ 、 真っ青な 海に小さな漁船が浮かんでいる。 「なにを 見ているの 」いつの間にか後ろに立っていたアントニーナが私の 右肩 に手を置いて訊いた。 「あれ 、 港だろうか。ほら、あそこにクレーンのような鉄骨が見える」 わたしは海岸 沿いに伸びた 町並み が途絶えた 辺りを指さした。 アントニーナは 、 わたしの肩 に重心 をかけて 、後ろから のぞき 込む ようにその 方角 を眺めた。 「ええ、アントニーナ港よ」  「港 か、行ってみないか 」 アントニーナを誘うと 、彼女 は困ったように少し首を傾げたが 「待っていて」と言って、 すぐに着替えてきた。白いワンピースと帽子をかぶった姿は、アントニーナに着いた日のトラピシェ桟橋に立って 海を見ていた フランチェスカ の服装によく似ていた。 ふたりは 丘の上に 建つ ピラル教会 までゆっくりと 歩いて登った。 この場所から 眺める アントニー ナ村の町 が一番素晴らしかった。いつものように 古い町並みの向こうに 青く 美しい海が 朝日で光っている。いつものように景色は素晴らしかった 。しかし、その 丘に立つアントニーナの美しさと比べれば、その景色も彼女を引き立たせるための背景に過ぎなかった。 アントニーナが振り返って笑っ た 。片手で白いドレスの裾を押さえ、もうひとつの手は帽子を押さえている。風が彼女と戯れている。わたしは彼女の手を取って教会の丘を海に向かって下りて 行った 。 港は思ったより遠かった。 だが 歩くことは楽しかった。 アントニーナは町の歴史や家族のことを楽しそうに話してくれた。 しかし、 町 が遠くなり港が 近づくと 、 アントニーナの表情 は 曇り 、口数がすくなった 。 付近の 集落 の 家々は 灰色のスレート屋根の平屋に変わり、 野良犬 のような痩せた犬が 錆びた線路の上で 甲高く吠えた 。 その線路は 長く使われていないらしく、道路を横切り、これもまた 使われていない 工...

第二章 アントニーナ 1973年4月~7月 ⑤

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「トーマ、素晴らしいわ。でも今日はここまで。あなたは私のお茶を一口も飲んでいないわ。今夜はここまで。 静かになさい、ほら、海鳴りが聞こえるわ。」フランチェスカは私 の物語をとめた。 いつしか空には白い月が浮かんでいた。まだ昇ったばかりの月の明かりが、波のない 滑らかな 海面に一筋の白銀の道を輝かせていた。その光の道を風が静かに揺らしていた。 「トーマ、ねえ、トーマの旅はどこへ続くの?」 いままで黙っていたアントニーナがティカップを手のひらで包んで紅茶を揺らしながら訊いた。 「つまり、どこまで行くの?」 わたしは6年前の旅の記憶から現実の旅に戻されてうろたえた。 「ぼくは・・、これからアルゼンチンのブエノス・アイレスに向かう。それから先は未定で、分かりません」 海を見ていたフランチェスカが、ティカップを置いて少し哀しげに私を見た。 「やはりね、次はブエノス・アイレスなのね。そうなるのが運命だわ」 「どうしてですか?ブエノスには何があるのですか?」 「トーマは導かれているの。あなたの旅はブエノス・アイレス、そして、そこで次の目的を知ることになるわ。私はそこがどこであるかも知っている。でもそれはブエノスに行けば分かること」 「・・・・・・・」 「さあ、今日はもう終わりしましょう。楽しかったわ、休みましょう。トーマ、来てくれて本当にありがとう」フランチェスカはそう言って立ち上がり、トレイに茶器を乗せて先に階段を降り、海を背にしてホテルに向かって歩いていった。アントニーナが続き、わたしはそのふたりに続いた。 クククルルという鳥の鳴き声と羽ばたきで目が覚めた。窓を開けると屋根裏からハトが飛び立った。揺れるカーテンを押さえながらテラスに出ると、朝日はまだ大西洋の入口をふさぐイーリャ・ド・マルの後ろに潜んでいたが、 そ の光はイーリャを黒い島影にし,海を平らな銀色の鏡に変えていた。しかし、南米大陸はつかのまの眠りの中に沈み,部屋から見下ろす市街には人影もなく、町は暗やみのまどろみの中にあった。ベッドの傍に置いてあった時計をつかみ時刻を確かめると午前五時を少し過ぎただけだった。 わたしは顔を洗い、服を着替えると、廊下を静かに歩いて昨夜と同じドアから外に出た。明け方の冷たい空気には潮の香りが滲みこんでいた。その潮の香...