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第二章 アントニーナ 1973年4月~7月 ④

トーマの物語       (1967年3月  Santa Cruz ) 1967年3月の早朝、サンタクルスの街角は終わったばかりのカーニバルの余熱が残っていた。人々はどことなく仕事に戻れず浮ついていて、道路には普段よりも塵が多く積もっていた。 ぼくはグリゴタ街でラパス行きのバスを探していた。近くのラマダ市場の買物客が歩道まで溢れて塵を踏み潰していた。歩道だけでなく車道の半ばまで溢れた人ごみに押されながら、僕は肩かけのバックを盗られないよう気をつけながら前に進まなければならなかった。ポケットには往復切符がやっと買える程度の乏しい金しかなかったので、安い運賃のバスを見つけようと必死だった。 「たった20ペソだよ。お買い得だよ」 「さあ、バスはもう出発するぞ」という切符売りの声が聞こえるたびに、乗れるバスがなくなるのではないかという不安な気持ちになった。それにエントレ・デパルタメントスのバス(州を超えるバス)が停車している路上にはサンタクルスではあまり見かけない山岳地帯の先住民系の人々が多く集まっていた。 その人々の顔は日本人によく似ていた。横幅があって頬骨が突き出でていたが全体的にはのっぺりとした平らな風貌で、表情の動きが少ないせいで黙っているとなにを考えているのかよく分からなかった。インディオと呼ばれるコリャ族やケチュア族の女性たちはたいてい、黒い髪を後ろでふたつに分けてみつ編みにして、その上にちょこんと乗せるように縁巾のせまいフェルト帽をかぶり、詰襟の長袖ブラウスをぴったりと身にくっつけるように着こんでいた。そして、踝までとどく長いポリェーラというペチコートでふくらんだスカートを着こんでいるので、彼女等ひとりひとりの周りには少なくとも体を密着させないですむ空間が生じていたが、そのせいでさらに混雑が増しているようだった。また、たいていの女性はアグァイオと呼ばれる緑や黄色、赤や青、まさしく原色を織り重ねた紡いだ布に 風呂敷のように 荷物を 包んで 上着の上から斜めか、あるいは首に掛けるように担いでいた。そういう見慣れない人種の中にいることも落ちつけない理由のひとつだったが、好奇心のほうが強かった。 やっと切符を買って乗り込んだバスのシートは市内で走るバスとそう変わりなく、リクライニング...