樹影の下で 第一章 サンパウロ 1973年4月 ⑦
そして国境を超えた。 ボリビアという国に入ると光と風が変わった。緑は濃くなり奥に潜む何かを隠していた。ブラジルとの国境に広がるパンタナル湿原は泥色の重い水をゆっくりと運んでいた。そして風はその湿原からゆらゆらと立ち昇る重い湿気を含んでよどみ、生暖かい空気が 朝の冷気で 霧に変わって視界を塞いでいた。 身体にまつわり付くような霧の煩わしさは否が応でも移住者たちの行く手に不安を与えていた。彼らを乗せた列車は、ブラジル国境の コルンバから ボリビア領のプエルト・キハロを通過して、隣町のプエルト・スワレスという村で停車した。 窓から身を乗り出すと、ピーという鋭いホイッスルの音が聞こえた。すぐに、くすんだ緑色の制服をきた警官が二人列車に乗り込んで来ると「身分証明書を出せ」っと、横柄で威圧するような態度で移住者たちに要求した。 警官は、左右の席をそれぞれがパスポートを確認しながらぼくらの席に近づいてきた。父は二つのパスポートを彼らに渡した。兄と姉は父、ぼくと妹は母のパスポートに連記されていた。彼らがパスポートを調べている間、ぼくは 彼らの 腰のベルトに吊るされたピストルを眺めていた。それはすり切れた茶色の革のホルダーに収まっていて重量感があった。 その警官がぼくの肩に手を置いた「レグスタ?」。驚いて見上げるぼくに、彼はもう一度「気にいったか?」かと訊くと、ホルスターからピストルを抜いてみせた。意味がわからずに見つめていると、母が恐怖の表情でぼくの腕をひいた。警官は肩をすくめてピストルをホルスターに戻すと次の席に進んだ。彼らがバゴンと呼ばれている客車から降りていなくなると、押し黙っていた車内が割れたように騒めきでいっぱいになった。 「怖かった?」と母が訊いた。 「ううん」というと「変な子だね」と、怒ったようにぼくの腕を離した。 そしてまた列車が走りだすと安堵した空気が広がり、しばらくすると方々から寝息がきこえてきた。ぼくはまた列車の窓から身を乗り出した。するとさっきの警官がこっちを見て手をあげて笑ったので、ぼくはそっと手を振りかえした。 わたしは話すのを止めて、アントニーナを見た。彼女は不思議なほど真剣な眼差しでみつめていた。それは物語を楽しんでいるというより聞かなければならないという思いつめた表情だった。 わたしは話をやめて彼女...